2016 09 11
スタッフブログ
メート従業員が入社から現在までについての全てを語る、
その名も「I ♥ Mate(アイ ラブ メート)」 企画。
前回から引き続き、勤続20年目の方にそれぞれお話を伺いました!
「メートと私」~20年史編~④ 撮影部 宮澤正憲
―ではまず、入社式の写真をご覧いただきましょう。
宮澤:今とは別人、痩せていましたね~。
―カメラマンは体力勝負!業務に耐えうる体作りが現在の宮澤さんを形成した
・・・と言うことにしておきましょう(笑)
では、同期の皆さんの当時の印象はどうでしたか?
宮澤:小西は落ちついている感じがしました。
竹内は太ってるなぁ、安部は同期とは思えない老け顔だなぁ、
舘野に至っては子供か!?と。正直、自分が一番イケてると思ってました。
―さらっと言ってのけた最後の一言に、当時の優越感を垣間見た気がします。
そう言えば宮澤さんは学生時代からすでにメートでアルバイトしていたとか。
宮澤:そうです。当時の担任の先生から紹介で会社見学をしたら、
その日にアルバイトしないか?と言う話になりまして。
―一目見て宮澤さんの可能性を感じたんでしょう。まさに運命!
あれから20年。一番のいい思い出は何ですか?
宮澤:カメラマンとしてオリンピックに2004年のアテネから
夏、冬あわせて7大会取材できたのは嬉しいです。
スポーツが与える感動に国籍は関係ない事を
オリンピック開催地に訪れる度に実感させられます。
―宮澤さんは今夏のリオオリンピックにも取材に行かれました。
撮る側の「4年に1度のスポーツの祭典の感動を伝えたい」と言う熱意が、
テレビを通して視聴者の皆さんにも共感を得ているのかもしれませんね。
では、反対に一番の失敗と言えば?
宮澤:まだアシスタントの頃、出張先にブーム(音声用の竿)を忘れて、
モップの柄を代用し取材をしました。
他局の人のびっくりした顔が忘れられません。
―取材時の忘れ物は致命的な事態につながりかねません(((;゚Д゚)))
機転が利いたのが不幸中の幸いでしたね。
では、「今だから言える同期へのゴメンナサイ話」を聞かせてください。
宮澤:撮影部に同期の竹内がいますが、新人の頃先輩から注意されるのを見て、
自分はその失敗をしないで済んだ経験が多々あります。
『竹内、先に怒られてくれ!』と思ってました。ゴメン。
―あー!ありますね。よく、兄弟でもお兄ちゃんが怒られているのを見て
弟が要領良く振る舞って叱られるのを回避・・・みたいな関係と同じですね(笑)
そんな喜怒哀楽を過ごして20年、メートで働き続けた理由は?
宮澤:自分が撮影したが物が毎日ニュースで流れるってすごい事だと思うし、
自分の中でもやっぱり嬉しいのだと思います。
自己満足の部分もありますが、オンエアを見て反省して、
次の取材で活かすんだと反省して・・・毎回反省です。
そんな日々を送っていたら20年たっていました。
―撮っては反省、オンエア見ては反省。
宮澤さんって見かけに寄らず、結構ストイックなんですね。
それでは、ズバリ!あなたにとってのフイルム・メートとは?
宮澤:自分の家族に自慢できるすごい会社です!
―体力的にもハードな職務ですが、
家族に自慢できる会社であることって長く勤めるには大切なモチベーションですよね!
話は変わりますが、意外な趣味や特技がありましたら教えてください。
宮澤:小さい頃からよくプラモデルを作ってました。結構手先が器用なんです。
ディ●ゴスティーニの安土城を早く完成させなければ・・・
―これは意外です!プラモデルって器用さも根気も要りますよね。
そう言った部分は現在のお仕事に活かされているかもしれませんね。
勤続20年。年齢を感じる瞬間はありますか?
宮澤:昔はゴルフの取材で走りまわっても平気だったのが
最近はひざが痛くなることも。
これは年齢よりも太りすぎが原因だと言われそうですが。
―会社では頼れるカメラマンですがご家庭では1歳のお子さんの新米パパ。
知らぬ間に年齢も体重も重ねてきていますので、どうぞご自愛ください。
では最後に、次号担当の竹内さんにメッセージをどうぞ!
宮澤:竹内、ダイエットし過ぎも心配です。
―ありがとうございました。
いよいよI♥mate~20年史編も次回が最終回。
同期からも「痩せた!」と評判の竹内さん。
インタビュー内容と共に、そのBefore⇒Afterにも注目です!お楽しみに。
今回の記事担当
宮澤正憲
撮影部
1996年入社